Kito2code's tumblr life RSS

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May
29th
Tue
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東京の吉祥寺は一見、おしゃれなイメージがあり、それは事実なのですが、夜になると、吉祥寺のある一帯は中国人アンダーグラウンド経済の支配下にありました。


具体的には、吉祥寺駅の北口を出てすぐ右に歩き、交差点を渡り、高架横の歩道を突き当たりまで歩くと、そこに南北に伸びる道があります。この道沿いでは、深夜12時頃を過ぎると、大勢の中国人女性たちが道に立ち、また、あまり知られていないですが、いくつかのマンションが風俗営業のために「建物ごと」買い占められています。

この状態は10年くらい前から徐々に始まり、警察などから黙認されているのか、今では大っぴらに数多くの女性などが道に立ち、道行く男性たちに声をかけていました。この道の存在を知らない人には非常に奇異な光景に見えると思います。


先日、震災後に何回か深夜そのあたりを歩きましたら、その人々は「全部」消えていました。


どれだけ警察が浄化という名目で乗り出しても、決して消えることがなかった中国人の人たちは、地震と放射能で消えました。この10年間くらいで、深夜でそのあたりで中国人女性の姿を見なかったのは、多分、初めてだと思います。

In Deep: 鎖国の気配

2011-04-04

(via gkojax-text)

(via aso)

May
2nd
Wed
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 レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れていたトーマス・エジソンは、ダ・ヴィンチにならってノートをつけた。
 アイデアをメモし、それを読み返し、またメモを書いた。
 その数、3500冊。
 
 
 ピンチに陥ると、エジソンはノートと相談した。
 たとえば1900年、エジソンが出資していた鉄鉱石採掘企業が倒産寸前の事態に陥った。
 エジソンはノートをひっくり返しあちこちを詳しく読み返して、その企業の組織とノウハウをもっとうまく活用できる道を探した。
 セメント製造に転換できることが分かった。企業は息を吹き返した。
 
 
 新しいアイデアでうまくいった時も、エジソンはノートを見なおした。
 新たに得られた知識やノウハウを使って、以前に捨てたアイデアやいきづまった発明(これらは一杯あった)を掘り起こし、今ならうまく出来ないか、少しは前に進めないかと試していった。
 たとえば頓挫したままになっていた電報用海底ケーブルのアイデアは、新たに発明した電話に応用することができた。
 ゼロからはじめなくても、いざという時に使えるものが、ノートにたくさん見つけることができた。
 
 
 ノートには自分のアイデアだけでなく、他の発明家が発表した論文や紹介記事、誰かに先を越された特許、自然や社会の出来事についての感想も書きつけた。
 他人が成功した事例を元にして、別の分野でうまくいきそうなアイデアを考えるのに、こうしたメモを用いた。
 独創性や斬新さなんて、ほとんど問題にならなかった。問題を解決することができれば、それで十分だった。
 
 
 自分の発明についても、他人の発明と同様に取り扱った。
 つまり自分の成功した発明を元にして、別の分野でうまくいきそうなアイデアを考えるのに、ノートを読み返して新たにメモをとった。
 たとえば電話の発明を元にして、蓄音機のアイデアが生まれた。
 蓄音機の発明と機構は、キネトスコープ(1人がのぞきこんで見るモーション・ピクチャ=映画)に結びついた。
Apr
17th
Tue
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つめかえ商品は当然のことながら、容器に入って売られている商品よりも安く販売されています。しかし、よくパッケージを見ると、容器商品よりも「内容量が少ない」です。無作為に洗濯用柔軟剤10種類を調べてみると、なんと10種類すべてにおいて、容器商品よりも詰め替えの方が2割から3割内容量が少なく、中には4割も少ないものもありました。計算した結果、7商品が100mlあたりの単価が容器商品よりも割高という結果に。 早速某メーカーに取材してみると、「使い切らないで中身を入れる消費者の方が多いので、こぼれないように内容量を減らしている」、「つめかえるとき泡立つ製品の場合、内容量を減らさないと泡であふれてしまう可能性がある」との返答。肝心の容器商品の方が実体的に割安である事に言及すると、「販売店さんのお考えで価格は決められていますので、当社では明確にお答えできません」との事でした。
Mar
29th
Thu
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記録破りの日本土器がかくも衝撃だったのは、島の住民が本土から学ぶはずだという偏見のせいだけではない。これに加えて、初の日本土器制作者たちは明らかに狩猟採集民で、これまた確立した見方に違反するものだったのだ。ほとんどの場合、土器は定住社会に属する。遊牧民があれこれ重たい土器を抱えてうろつきたいはずもない。それ以外に、武器や赤ん坊を宿営地移動のたびに抱えてまわることになるのだから。狩猟採集民は、通常は土器を持たない。世界の他の地域では、定住者界は農業の採用以後にしか生じなかったからだ。でも日本の環境は生産的すぎたので、人々は狩猟採集民として暮らしつつも、定住して土器を作れた。土器のおかげで、日本の狩猟採集民たちは環境が与えてくれる豊かな食料源を、集約農業が日本に伝わる一万年も前から活用できるようになった。
Mar
25th
Sun
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急速な人口減少で社会が変化していくのに伴い、我々が普段、生活の中で経験している人とのつき合い方、人間関係も変わっていく。(中略)これまで日本人が伝統的に、あるいは漠然と受け入れてきた人と人とのつながり、いわゆるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が再構築されていく時代ーーそれが人口減少社会なのである。
— 鬼頭宏「2100年、人口3分の1の日本」pp.120
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特定都市への人口集中が続くという推計に対して、経済学者の松谷昭彦氏はまったく正反対の予測を示している。(中略)
生産年齢人口の割合が大きい大都市圏では財政が確保されるため、財政的なゆとりがあった。しかし、現在の生産年齢人口はイコール、将来の老年人口(従属人口)である。今後、他県からの人口流入が細るであろうこともあり、大都市の老年人口の割合は急激に増加することが予測される。
そのとき何が起こるか。老年人口と年少人口を合わせた従属人口の割合は大都市圏ほど高くなる。従属人口が増えた分、彼らにかかる社会保障費は増大し、生産年齢人口にとっては財政負担の重みが増す。反対に、これまで若者を都市へと送り出してきた地域、たとえば四国、中国、東北地方では老年人口の増加率は小さく、従属人口はむしろ減少するはずだ。その分の財政負担は軽くなり、住民の生活水準は上昇する。その結果、大都市地域から地方への移住を考える人が増えるのではないかーー松谷氏は、そう予想しているのである。
— 鬼頭宏「2100年、人口3分の1の日本」pp.97-99
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デンマークの経済学者E・ボズラップは、新しい人口波動が始まるメカニズムを、農耕技術との関係から説明している。(中略)つまり、人口増加と人口密度の上昇が、農業の発展の背景にあると考えたのである。
ボズラップはこの考えを農業以外の生産技術にも敷衍して、人口密度の上昇が生産技術の高度化を導くと結論づけた。彼女の技術発展論の背景には「人間は困難に直面しなければ変わらない」という哲学がある。
— 鬼頭宏「2100年、人口3分の1の日本」pp.44-45
Mar
24th
Sat
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ナムコに入社して最初の頃に驚いた事の一つに「映画を見に行った時に映画代を経費で精算できる」という事でした。もちろん業務に関係あるかどうかによるのですが、気になった映画は何度か会社の業務の一つとして見に行った事があります。上司の許可があれば業務時間中に見に行く事もできました。

(なんて変わった会社なんだ、とその時は思いました)

ある時、僕はどうしても見に行っておきたい映画があったので、見たい映画を上司に伝えて、許可をもらってその映画を見に行きました。
映画を見に行った経費精算をするのにその「半券」が必要で上司に精算用紙にハンコを押して貰うのですが、その時の上司が「後ろはちゃんと見た?」とハンコを押しながら僕に尋ねたのです。

正直何のことかわからずキョトンとしていると、「映画を見ている時、スクリーンだけじゃなくて、後ろを向いてお客さんの表情を見てみた?っていう事だよ」と言われたのです。

この時、僕は自分が足りなかった大事な視点に気づかされました。

文字通り、映画を見に行ったなら、「後ろを見る」必要があったのです。
その映画に来ているお客様がどんな人か(若いカップル、年配の人、女性のグループ、カップル、男性一人客…)、どんなシーンでどんな反応をしているか…

ゲームを作る人がよく陥りがちな事ですが、資料として他社が作ったゲーム等を評価する時にゲームそのもののほうにどうしても注目してしまいます。映像の作りとか、ゲームのルールがどうなっているか、とかそういう事が、開発者目線でいうと気になってしまうのです。

しかしながら、実は本当に大事で、じっくり観察をしなければいけないのは、それを遊んでいるお客様の反応なのではないかと思います。

プロとしてはどんなにすごい技術を使っていても、どんな手間がかかった事をしていても関係なく「お客様の反応が全て」という意識を持つべきだと思います。これはゲームや映画に限らず、エンタテインメント(おもてなし)を生業とする人全てに言える事ではないでしょうか。

Mar
22nd
Thu
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Mar
20th
Tue
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06年12月、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)は、出生率と死亡率の組合せから、9通りの「将来人口」を推計した。
(中略)50年後の8900万人という推計人口は、1955(昭和30)年の総人口(8928万人)とほぼ同水準である。1955年といえば、日本が第2次世界大戦の復興を果たし、経済白書に「もはや戦後ではない」と記述される1956年の前年だ。100年後の人口4400万人はさらに時代をさかのぼって、20世紀に突入した1901(明治34)年の水準になる。こちらは日露戦争直前、西洋式の高炉を建造した官営八幡製鉄所で、初めて大規模な鉄鋼生産に成功した年である。
— 鬼頭宏「2100年、人口3分の1の日本」pp.14-15