Kito2code's tumblr life RSS

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Jan
27th
Fri
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Jan
24th
Tue
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戦争とは他の手段をもってする政治の継続である。
— クラウゼヴィッツ「戦争論」
Jan
23rd
Mon
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強制するのではなく、早く学習させるには娯楽を与えることがひとるのやり方である。幼い子どもたちはゲームから学ぶ。強制されて学んだことは心の中に残らないのである。
— プラトン
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「知識」は理解するということの、ほんの一部分にすぎない。本当の理解というものは、実体験から得られるものである。…知識は組み立てられるものであり、すなわち構造的である。
— シーモア・パパート(Constructionismと呼ばれる教育理論について)
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あたかもスティーブ・ジョブズがアメリカの成功を代表する存在であって、スティーブのような人が出ないから日本はだめなんだという、最近よくある論理展開です。

これはもう完全にばかばかしい話です。

スティーブ・ジョブズはアメリカの成功の代表なんかではないし、アメリカにおいても彼は完全な例外です。アメリカの大部分の評論家が言っていたことと真逆のことをやってアップル社を再生させましたし、アメリカのIT界にあっては異端児です。アップル社のイノベーションの仕方は明らかにグーグル社やアマゾン社と異質で、アップル社だけがiPhoneとかiPadでイノベーションを起こし、それを他社が真似するという構図が完全にできあがっています。

スティーブ・ジョブズは株主利益を尊重していませんでしたし(これは公言しています)、MBAどころか大学も数ヶ月で中退していますし、ほぼすべての評論家がMacOSもWindowsのように他メーカーにライセンスすべきというときにライセンスを全部取り消しましたし、インターネット時代に直販小売店戦略を始めるなんてバカバカしいと言われた中でアップルストアを成功させました。しかもアップルストアを始めるに当たって、小売店を締め付け、販売を制限し、販売チャンネルを大幅に減らすという常識では考えにくいことをやっています。評論家や経営のプロが言っていたことの逆のことをすることによって、ジョン・スカリーなどの経営のプロがぼろぼろにしてしまったアップル社を立て直したのです。

アメリカでも完全に例外であるスティーブ・ジョブズのような傑出した起業家が出てこないのは、別に日本だけの悩みではなく、アメリカの悩みでもあり、iPhoneやiPadを真似ることしかできていない韓国の悩みでもあります。

Jan
9th
Mon
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 さかなクンさんはインターネットをやらないそうです。わからないことがあれば、図鑑をめくって調べて、それでもわからないことは大学教授へ電話して聞くそうです。そんなさかなクンさんだから、子供たちは夢中になって彼の話を聞きます。いっしょにキャーキャー言って、さかなのふしぎを楽しみます。で、一拍おいて、子供たちに、こんどはひとりの大人としてさかなのレクチャーをするんですね。さかなクンさんのこの一連の話しぶりは、見事です。

 これはすごい光景だなあ、と久しぶりに感心してしまいました。

 こんな子供たちの姿は、大学の頃、授業をさぼって4畳半のアパートで見た「おかあさんといっしょ」の中の「にこにこぷん」のコーナーで、お兄さんやおねえさん、じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりと一緒に踊る子供たち以来だなあ。あの子供たちの夢中になるさまを見て、なんじゃこりゃ、と思って、将来はNHK教育で子供番組をつくりたいと思いましたもの。でも、NHKは私を入れてくれませんでしたが。

 つまらない自分語りはこのへんにして、さかなクンさんの話。

 なんとなく、ちょっと泣きそうになるくらい、さかなクンさんは教育というものの原初の姿を見せてくれています。そんな彼には夢があって、それは、いつか誰も見たことのないさかなを見つけて名前をつけたい、というものです。これなんでしょうね。きっと、これです。

さかなクンさん (via radionaire) (via plasticdreams) (via etecoo) (via petapeta) (via ramalamafafafa) (via pedalfar) (via vmconverter) (via yamato) (via rosarosa) (via gkojax) (via cajon)
2010-02-06 (via gkojay) (via usaginobike) (via mediapicnic) (via mitaimon) (via kogure) (via motomocomo) (via an-k)
Jan
7th
Sat
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Jan
2nd
Mon
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自分は捨て石にはなりたくないが、踏み石には喜んでなる。
— 遠藤周作
Dec
29th
Thu
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もう28年前のことになります。師匠談志に入門して1年経ったある日のことでした。練馬にある師匠の自宅で、ともに前座修行をしていた兄弟子が突然「俺、落語家やめるわ」と言い出しました。その場にいたまだ20代だった私と他の前座3人は唖然(あぜん)。確かに、その兄弟子の前座修行は身が入っていないように見えましたが、喋(しゃべ)りにセンスがあったので、いま辞めるのはもったいないんじゃないかという声も出ました。しかし、兄弟子の決心は固く、これから談志にそのことを告げる覚悟だと言います。しかも「師匠談志のところを辞めて、たけし師匠のところに行こうと思ってるんだ」。たけしとはもちろんビートたけし、北野武さんのことです。これも師匠に話すと言うので、ただ辞めるでいいんじゃないか、どうしてわざわざよそへ行きたいと告げねばならぬのか、と全員で止めたが「だって、その方が行きやすいから」というなんだかよくわからない答え。

兄弟子が師匠談志のいる書斎へ向う。私たち前座4人は、漫画のヒトコマのように隣の部屋のドアの隙間(すきま)から顔を並べてドキドキしながら事態を見守った。机に向かって原稿を書く師匠。机越しに正座した兄弟子。「師匠、辞めようと思うのですが」「辞めたいのか。辞めてどうするんだ?」「はい、たけし師匠のところに行こうと思います」「たけしの弟子になりたいってのか?」書斎の空気が凍り付いた。師匠の椅子の後ろには大きな書棚が並び、本と一緒に並ぶ高級な洋酒。後ろ手にその中の1本、オールドパーの瓶の首根っこを右手で握ってさかさまに持ったのを目撃したときは、あ、兄弟子は殴られるんだ、と覚悟した。と、師匠は机の上にあった名刺をセロテープでボトルの正面に貼り付けて言った。「これを持ってたけしのところに行きな。これをもらったらお前の申し出を断れないだろうから」。事態をうかがっていた私ら前座全員は崩れ落ちた。

その後、言われた通り洋酒を持ってたけし師匠に入門した兄弟子は大活躍。ただしもらった芸名がフンコロガシ。が、談志の許しを得て芸名だけは元の「(立川)談かん」を名乗った。
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初代iPodが出たとき、ぼくは、松下のSDプラットフォームチームにいた。当時、松下は本気でSD-AUDIOを開発していたので、iPodは正直、おどろいた。

松下などのSD陣営はデータが消えにくく、著作権保護が可能なSDカードとその周辺の開発で、すでに数百億円以上つっこんでいた。他社と調整して SDMIなどの世界標準規格もたくさん作った。すごい時間とカネをかけて著作権保護と暗号化と静電気に強いカードとフォーマットを開発していた。その前に 出したスマートメディアやMMCが静電気に弱くデータが消えることが多かったからだ。一万回SDカード抜き差しテストなどが普通に行われていた。もちろ ん、メモリースティックも同様の状況だったと思う。

だから、ハードウェア担当たちは、急に出た初代iPodの発表を聞いて、びっくりした。「ハードディスクなんて、不安定なモノでどうやって、データを消えないようにしとるんや?加速度センサーで衝撃や落下を事前に検出してシークをはずしたりしとるんか?その割には安すぎるし、それでデータ保護も完璧にはでけへんやろし…。」

iPodの発売日、ハードウェア担当たちは、恐る恐るiPodを分解した。Appleはどんな衝撃対策やデータ保護対策をしているのだろう…。どんな未知のテクノロジーを使ってユーザーのデータを保護しているのだろうか?

結果は…iPodの中に裸のハードディスクがゴロンと入ってるだけだった。加速度センサー?そんなものは微塵も無かった。衝撃対策は、ゴムみたいな何かを挟んでる以外は何もしてなかった。「データは消えても知らん」という設計思想だった。実際、iPodはデータが飛ぶことがあった。

iTuneも著作権保護もぐだぐだで、国内メーカーがこぞって進めていた「自称」世界標準の著作権保護規格であったSDMI規格も100%無視されていた。CDに焼いたり複数のiPodにコピーできたりなんでもアリすぎて、これもびっくりした。

ハードウェア担当が言った。

「こんなん、ウチではだされへんがな。」

iPodが売れるに従い、我々がこだわっていたことは一体なんだったのかと思うようになった。